174頁
「第一次橋本政権時の総裁選では野中が派閥の長である小渕を推したが、梶山は小渕にあがりポストの衆院議長就任を打診して拒否された」
第一次橋本政権時に自民党総裁選挙があったのだろうか。
95年は村山内閣、97年は第二次橋本内閣。
小渕恵三に衆院議長を打診したのが梶山静六かどうかは知らないけれど、打診されたのは96年の総選挙後。


180頁
「小渕の急逝を受けたこの年の四月、森喜朗が無投票で自民党総裁になり、首相の座を射止めた」
小渕が亡くなったのは5月。
「森政権を密室でつくったのが、小渕政権の官房長官だった衆院の野中や亀井、参院の青木幹雄と村上正邦の四人組である」
森元首相も入れて五人組ということが多い。
181頁
「そしてもう一人、古賀誠も副幹事長として反乱軍の鎮火に当たった」
国対委員長ではないか。
副幹事長兼務の可能性もあるが。
182頁
「そして宏池会・加藤派は親加藤の小里貞利派と反加藤の堀内光雄派に分かれ、菅は堀内派に合流する」
加藤派が小里派に変わったのは加藤紘一が議員辞職した時。
そもそも加藤が派閥会長をやめなかったから分裂。
ありがとう。